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2015年 07月 31日
先日、不忍ブックストリートの茶話会でジェームス・テイラーのことを話すことになって、資料をさがしていたら、ダンボール箱の中から古いコンサートのプログラムが出てきた。
「BLOOD,SWEAT & TEARS 第二回ロック・カーニバル」。 1971年2月13日(土曜日)日本武道館で行われた初来日公演のプログラムだ。もう表紙がボロボロになっている。 当時、ぼくは14歳の中学生。外国のロックグループの演奏を聴くのは初めてだった。武道館に行くのも初めてだった。 ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズは、ホーンセクションが特徴的な、いわゆるブラスロックの草分けで、ジャズとロックを融合させたバンドだった。ブラスのアンサンブル、アドリブソロがうまくてどちらかというとジャズのバンドといってもいいくらいだ。ただ、それをロックらしくしていたのが、ヴォーカルのデヴィッド・クレイトン・トーマス。カナダの木こりだったという大男は、ホーンセクションに負けない野太い声の持ち主だった。大学出のインテリぞろいのバンドでただひとり、粗野で、たたき上げの風格を持っていたデヴィッドは、かなりくせのある男だったらしい。デヴィッドを嫌ってバンドから抜けていったメンバーも多いらしい。 外国のミュージシャンのライブは初めてじゃない。その年の1月10日に新宿厚生年金会館で行われたホセ・フェリシアーノに行っている。その日は、ギタリスト伊勢昌之に初めてレッスンを受ける日で、ギターを抱えて座席に座っていたのを覚えている。 でもホセ・フェリシアーノはポップだから、ロックのコンサートとしては、B,S&Tが初めてだった。 ちなみに第1回ロック・カーニバルは前年12月にジョン・メイオール、ハービー・マンデル、ラリー・テイラーが来日していた。 この年あたりからキョードー東京が仕掛けて本場のロックグループが次々と来日している。1971年だけでもフリー、BBキング、シカゴ、グランドファンク・レイルロード、ピンク・フロイド、レッド・ツェッペリン、エルトン・ジョン。みんな初来日だったのだから、日本中のロック少年が驚喜したのもわかるだろう。いや、どうかな、ぼくはうれしかったけれど、ぼくのまわりでロックの話をする友人はいなかったような気がする。そのころの中学生はそんなもんだったのかも。 たしかロックは、「ロック・カーニバル」、ポップスは「ラブサウンズ・スペシャル」というタイトルがつけられていたと思う。ジェームス・テイラーはラブサウンズ・スペシャルだったな。ラブサウンズねえ、これが日本でのJTの評価だったんだなあ。 中学生だったぼくは、ロックといえば、それまでビートルズしか聴いていなかったが、少しずつ他のロックも気になり始めていた。ロックは、ラジオでもそれほどかかってはいなかったように思う。情報は雑誌「ミュージュックライフ」だったのだろうか? 「ニューミュージックマガジン」はまだ買っていなかった。あ、そうだ、テレビで大橋巨泉が「ビートポップス」をやっていたな。それからその頃、グループサウンズが下火になってきて、アイドル路線から本格ロックを始めるようになって、いろいろロックナンバーのカバーをしていた。ジャズの人もロックを演奏をするようになっていた。そうか、マイルスもエレクトリックになったころだった。 B,S&Tのことをなんで知ったのか、よく覚えていない。「Spinning Wheel」はラジオで聴いて知っていたけれど、もしかしたら、伊勢さんの教室でアルバムを聴かせてもらったのかもしれない。「You've Made Me So Very Happy」のコード進行を教えてもらったっけ。とにかくB,S&Tはかっこいい、とそのとき脳にすりこまれたのかもしれない。 中学生のぼくは、来日が決まると紀伊國屋にあったチケットショップで一番安い1000円の席を買った。2階席の上のほうの席だった。初めて行く武道館は大きかった。下のほうに小さく見えるステージには、大きなアンプがつんであった。音楽誌のグラビアで見た風景だった。それだけで興奮した。前座は猪俣猛のバンドでいわゆるジャズロックを演奏した。いま聴いたらかっこいいと思ったのかもしれないが、そのときは“おじさんのロック”にしか聞こえなかった。プログラムをあらためて見たらテルマ・ヒューストンも出演したらしい。そういえば黒人女性のボーカルを聴いたような……。 そしてB,S&Tの登場。多分、セカンドアルバムのとおり、エリック・サティの変奏曲から始まったと思うけれど、どうだったろう。 とにかくボーカルのデヴィッド・クレイトン・トーマスの迫力は圧倒的だった。ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」についてミック・ジャガーよりも自分の歌の方がすぐれている、といってはばからないデヴィッド。ミックよりも「悪というものを知り尽くしているからだ」というのも納得という歌だった。どんなにほかのメンバーがソロを吹きまくっても、存在感が違う。腹の出た頭のはげたおっちゃんなんだけどなあ。 コンサートの最後に、デヴィッドがタンバリンを1階席(つまり武道館では2階席)に向かって放り投げた。タンバリンは届かなかったのだが、身を乗り出してとろうとした男の人が転落した、ように見えた。あのタンバリンが描いた放物線と男の人が落下するシーンがいまでも目に焼き付いている。 これ、本当にあったことなのかなあ。白日夢だったのか。だれか、覚えている人いませんか?
by kyotakyotak
| 2015-07-31 13:10
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