カテゴリ
以前の記事
2025年 11月 2025年 10月 2025年 09月 2025年 08月 2025年 07月 2025年 06月 2025年 05月 2025年 04月 2025年 03月 2025年 02月 2025年 01月 2024年 12月 2024年 10月 2024年 08月 2024年 07月 2024年 06月 2024年 05月 2024年 04月 2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2019年 12月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 03月 2019年 02月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 02月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 02月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 11月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 お気に入りブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2025年 11月 27日
田端にあるギャラリーOGU MAGU で落合由利子 写真展
「絹ばあちゃんと90年の旅─幻の旧満州に生きて」(10/2 この展示は、1913年に生まれ、2015年に101年の生涯 いうひとりの女性の日常をモノクロームの写真で追っている。 ギャラリーの壁には、おばあさんが食事をしたり、くつろいだり、 体操をしているモノクロームで撮られた写真が並んでいる。 日頃、デジタルプリントに見慣れた目には、ていねいに手焼きでプ された深みのある陰影に「写真ってきれいだなあ」と思わず声を 絹さんというおばあさんの顔がまたいい。DMにもなっていた絹 から撮った写真を見ていると、絹さんが生きてきた90年の人生 伝わってくる。 じつは写真展には、なんの前知識もなく来ていた。作家の落合由利 ステイトメントを読んだ。絹さんの人生は、波瀾万丈と一言で表 国家と戦争に翻弄されたものだった。 絹さんは、1913年静岡県藤枝に生まれて、看護婦(当時の表現 1939年、26歳のときに、 に渡った。開拓団の青年と結婚し3人の子どもを授かるが、夫は 1945年8月9日ソ連軍の侵攻があり、大混乱の中を転々とす 3人の子どもを次々と亡くし、難民生活者となった。 そして日本敗戦後も、内戦状態となった中国で中国共産党八路軍従 として「留用」され、後方衛生部隊として3年間従軍、1949 成立後は、ハルピン医大で看護婦養成のために働くことになる。 日本敗戦から8年が過ぎた1953年39歳でやっと帰国すること の天城山麓に開拓に入っていた夫と再会して再び生活を始める。 に恵まれて、その子たちも成人し、それぞれの家族を築いた。夫 絹さんは一人で畑を耕し日々を暮らしていた。 「今が一番幸せだよ」という 絹さん。たくましく生きてきた人なんだなあ。 ギャラリーでの落合さんのアーチストトークでは、落合さんがどの して絹さんと出会い取材をするようになったのかが語られた。 落合さんが絹さんの取材を行ったのは、絹さんが86歳から92歳 およそ6年間。ただ会って話を聞くだけではなくて、天城山の絹 泊って、いっしょにご飯を食べたり、畑仕事をするなど日常を共 だろう。 あるとき取材を中断しなければならない出来事があった。 原因は1枚の写真だった。編集者に相談すると、毎月掲載していた 6ヶ月も中断することになった。「ドキュメンタリーをしていれ 事態は起こります。これからが本当の取材ですよ」という編集者 印象的だった。落合さんは、なんとか絹さんの気持ちをほどこう なかなかうまくいかない。 そのときの落合さんの気持ちの変化がぼくの心に響いた。落合さ 「絹さんに会いたくて会いたくて、本当に絹さんの話を聞きたく 思うようになった。 絹さんを取材対象としてではなく、ひとりの人として見るようにな と思う。もちろん、それまでだって真摯に取材をしていたにちが ある意味、毎月の連載の原稿を書くために話を聞いていたともい ひとりの人間の人生に深く迫り、文章で表現するドキュメンタリ それでは本物ではないのだろう。 本当の取材とは、どこまでその人と向き合えるか、そして、そのこ いかに難しいかということを、落合さんに教えてもらった。 ギャラリーで写真を見て、トークショーで落合さんと絹さんの出会 のことは語ってもらったのだが、絹さんの人生については、まだ わからない。 6年間の取材をまとめた本が『絹ばあちゃんと90年の旅』 (講談社 2005年)だったが、残念ながらいまは絶版となっている。 ギャラリーOGU MAGU での展示のために再編集して、新たに写真を加えた のが『絹ばあちゃんと90年の旅II 幻の旧満州に生きて』(落合由利子 著・ 写真 安田真奈己・デザイン)だ。 絹さんの話は1945年8月9日から始まる。「夜中、向かいの家 悲鳴に近い声で叫びながらドアをドンドンたたいたの」ソ連軍が 逃げなくてはならない。あわてて子どもたちを起こして、5歳の 長男に手をつながせて、絹さんは長女の手をひいた。背中に1歳 背負って、前にはリュックをかけて。軍から預かっている小銃と 夫は招集されて、全部、絹さんの責任でやらなければならない。 ホッとはしたが、これからが悲しい道のはじまりだった。 日本の戦争が終わってからも絹さんの戦争は続く。 「国ってものは、怖いんだよ。嫌といえない状態、 いっしょに帰れるようにする、なんて、嘘ばっか」絹さんは八路 として「留用」された。「留用」とは、人を自分の国に留めてお いう意味で、敗戦後の中国で1万人近い日本人が中京軍に留用さ 絹さんは八路軍とともに毎日数十キロを歩いて、負傷兵の治療を そして日本軍がどんなにひどいことをしていたかを知る。 「日本の軍隊が中国でそんな悪さをしていたなんてね。“日本鬼 ても、しかたないね」と、絹さんはいう。 実際に戦争を経験をした人の言葉は貴重だ、と改めて思った。絹さ 聞いていると、まるで自分のおばあちゃんが教えてくれるような なって、言葉が染みこんでくるようだ。そして悲惨な出来事が身 ことのように感じる。 たとえば天然痘に罹患して、もう助からないと思える兵隊がいた。 空気感染するので看護婦も危険にさらすことになる。医者は青酸 動脈注射する。しかし、保存状態の悪い薬だったため効かなかっ その兵士の首をしめて殺した。このような恐ろしい事件を絹さん 語る。いったいどんな気持ちで話したんだろう? 読んでいて思い出したことがあった。 絹さんは語る。八路軍で看護婦をしているときに浦野さんという看 あやまって注射器をこわしてしまう。「思想が悪いからだ」とい 日本人全員が集められて「検討会」が開かれた。もう少し気をつ よかった、とか、物を大事にする気持ちが足りなかったとか、く みんなからいわれて、それに対して浦野さんは返事をしなければ それが1時間も2時間も続いた。「自己批判」というやつだ。 絹さんは、浦野さんを慰めるつもりで「形あるものはいつかは壊れ いいますからね」という。そうしたら自分は思想家と威張ってい 「形あるものが壊れるなら、僕は革命はやめた!」と怒り出して 絹さんは「マルクスだかなんだか知らないけど、これは大変なと 来ちゃったな」という。 思い出したことがある。 ぼくも子どものころ、合宿なんかで忘れ物や遅刻をすると全校生徒 「自己批判」をする学校に行っていたので、このいやーな雰囲気 ぼくのトラウマになっている。あれからイデオロギーなんて信じ まえがきで落合さんはいう。 ひとたび国家の戦争が起これば、星の数ほどの「個人の戦争」が始 「戦争」は終戦で終わるものではない。 『絹ばあちゃんと90年の旅II 幻の旧満州に生きて』は展覧会のパンフレット という形をとってはいるが、ひとりの女性と戦争を描いたフォト として大切な一冊だ。展覧会は終わったけれど、機会があれば、 このパンフレットは読んでほしいなあ。 落合由利子公式サイト https://ochiaiyuriko.com/ OGU MAG https://www.ogumag.com/ 「絹ばあちゃんと90年の旅―幻の旧満州に生きて」のパンフレットは、 ギャラリーOGU MAGU( https://www.ogumag.com/)で販売しています。
#
by kyotakyotak
| 2025-11-27 15:50
| 本
2025年 10月 21日
前回も戦争について書かれた『大日本いじめ帝国』(荻上チキ 栗原俊雄
著 中央公論新社)を紹介したけれど、今回も戦争についての絵本を紹 ことにした。子どものために書かれた絵本なのだけど、大人たち 読んでほしい。8月の終戦記念日から時間が経ってしまったけれ だけは、ぜひ紹介したかった。 『いま、日本は戦争をしている- (堀川理万子 絵と文 小峰書店)は太平洋戦争中、子どもたちが、どんな ことを感じ、なにを考えながら暮らしていたかを画家であり文筆 堀川理万子さんが当時子どもだった人たちに取材して、その記憶 して、証言をその当時の「子ども」が語っているように文章にし ページの絵本だ。 戦争を描いた子どものための本は、もちろんいままでもあったけれ 当時、同世代だった人の記憶が絵日記のように描かれていて、現 たちに「当時の子ども」の思いがリアルに伝わる絵本になってい もちろん、子どもだけじゃなく、大人たちにも届くはずだ。 東京大空襲、広島、長崎の原爆、沖縄地上戦、満州からの引き揚げ 理不尽な出来事が、時間をかけた丹念な取材によって、当時の子 どんな気持ちでそれを受け止めていたか、 の言葉として蘇っている。 北海道から沖縄まで、17人の「当時の子ども」に取材していて、 エピソードが書かれている。ひとつひとつのエピソードは悲しさ 伝えているのだけど、 ユーモラスでもある。 絵日記のようでもあって、暮らしの一コマ一コマを描いている。死 火傷を負った人、けっして悲惨な風景にも目を背けることなく描 いるが、堀川理万子さんの絵は美しい。見ているうちに映画やド いるような気持ちにもなるようだった。 文章は当時の子どもの言葉として再現していて、80歳後半から9 人が語っているとは思えない。この絵本を読む子どもたちにも、 子どもが語っているように感じられるだろう。 様々な種類の防空壕、そして防空壕でどのような態勢をとるかなど あって、初めて知しることも多かった。 戦争は、悲惨な光景が日常なのだ、と実感出来たのは、記録映画や 描いた映画などを見るのとは、また違うというか目に直接的に訴 なくて、じわじわと悲しみや辛さが心に染み込んでくるような感 だろう。 読みながら涙が出てくる。 空襲の火の粉が飛ぶ中を必死に逃げたり、原爆で吹き飛ばされたり いい姉が火傷を負い亡くなったり、腐りかけた死体を運ばされた 子どもがこんなひどい目に遭わなくてはならないのだろう、と怒 くる。 堀川さんがこの絵本をてがけたきっかけは、コロナ禍に公募展に出 堀川さんの絵はグランプリを取った。その副賞としてアートギャラ 個展をすることになって、それでは戦時中の記憶を取材して絵に 思った。パンフレットを作る話を編集者に話したところ、それな しましょうと提案されて、この絵本の企画が始まったそうだ。 そのグランプリを取った絵はとても印象に残っている。ある日、堀 公募展でグランプリを取ったことが新聞にのっていて、どんな絵 ギャラリーに行ってみた。この絵本に「のら犬と臨時ニュース」 とともに載っている絵がそれだった。おでん屋の前で少年が野良 いる絵だで、少年の犬への愛情が伝わる温かい絵だった。 堀川さんは、お父さんから大好きな犬の鼻をなめてジフテリアにな こと、国旗掲揚塔のロープを切ってしまった話、終戦後の食糧難 親戚に米をもらいに行った帰り、駅で寝入ってしまい、米を盗ら 話を子どものころ、繰り返し聞いていたという。なんども聴きた わかるなあ、ひどい話なんだけれどもユーモラスでもある。お話 面白いもの。 トークショーで苦労した話も聞くことが出来た。 堀川さんは編集者とともに北海道から沖縄まで取材に向かい、「戦 子どもだった」人に話を聞いてホテルに戻り、そのエピソードを 翌日、再び話をしてくれた人に絵を見てもらう。「どうも違うな いわれるとすぐに描きなおす。話をしているとだんだん記憶が鮮 くることもあるだろう。 堀川さんは徹夜をして、なんども描き直して絵を仕上げていったと 「戦争中の子ども」が納得がいくまで絵を直してた。 リアルティはだから生まれたんだろう。ディテイルをきちんと描 から、その場の景色だけでなく空気感も伝わってくる。 この誠実な取材によって、最初は語りたがらなかった人も心を開い 思い出を話すようになったのだと思う。本ができるのを楽しみに たちの中には、完成を待たずに亡くなった方たちもいる。あとが たちの名前が載っている。 戦争を語った17人の「戦争中の子ども」は、なによりも「今の子 にこの絵本を読んでほしいと思っているにちがいない。 戦争なんて、「遠い国のこと」だったり「日本が戦争をしていたの こと」と思っているかもしれないけれど、平和な暮らしを送って いまだからこそ、戦争が起きたら自分たちの暮らしがどのように しまうのかを知ってほしい。その思いから、いままで語らなかっ 伝えようと重たい口を開いた人もいる。 戦後80年、戦争が終わったとき20歳前だったぼくの両親は生き 100歳近くだものなあ。太平洋戦争を経験している人が少なく 当然のことだ。 ちょっと前だったら、政治家の長老たちは戦争の記憶を持っていた たとえば自民党の保守派で、ぼくとしては到底その政策に同意で たちでも「戦争だけは二度と起こしてはならない」と語ることが 「戦争の記憶」は、「戦争を絶対に起こしてはならない」と戒め なっていたようだ。 だが、その重しははずれてしまったようだ。戦争を知らない世代が 執り行うようになったせいか、いつのまにか「戦争は自分たちが ための道具であり、経済の手段」になってしまったようだ。歴史 ように書き換えようとしたり、徴兵制導入を匂わせたり、日本を に導こうとしている。 ![]() も戦争をしない国として踏みとどまるか岐路に立っている。 読み終えてから改めてこの絵本のタイトルのことを思った。 「いま、日本は戦争をしている」。おそろしいタイトルだなあ。 #
by kyotakyotak
| 2025-10-21 09:42
| 本
2025年 09月 24日
8月ジャーナリズムという言葉があるそうだ。毎年8月になると新聞、 テレビ、ラジオなどのメディアが戦争や平和に関する報道を集中して行うが、 いわゆる季節ネタで終わってしまうことをいう。 今年は戦後80年ということもあって見応えのある特集番組が放送されたと思う。 右翼政党の台頭やガザ、ウクライナの悲惨ニュースが流れる中、戦争についての 報道はこのまま「8月ジャーナリズム」として終わらせてはいけない、と身に しみて感じるようになった。 『大日本いじめ帝国』(荻上チキ 栗原俊雄 著 中央公論新社)を読んだ。 サブタイトルに「戦場・学校・銃後にはびこる暴力」とあるとおり、戦時下の 暴力を数多くの証言と時代背景を整理して、戦争を「いじめ」をテーマとして とらえた本だった。 証言はたくさんの文献から取り上げられていて、その出典もきちんと示され ている。著者の荻上チキは、社会の問題を深く捉える番組のラジオ パーソナリティとしてお馴染みで、「いじめ」についての著書も多い。その 荻上チキさんがもうひとりの書き手として選んだのが、栗原俊雄だった。 20年以上、戦争にまつわる取材と報道を8ジャーナリズムを一年中続けている 「常夏記者」という異名を持つ毎日新聞の記だった。 戦時中のいじめをテーマにしているのだから、楽しい内容のわけはない、 と覚悟をしていたけれど、想像以上の悲惨な話に鬱々とした気分になったし、 それ以上に、もし、また戦争という状況になったら、と恐怖感を覚えたし、 世の中が「戦前」に近づいているのでは、という気がしてこわくなってきた。 戦時中のいじめのことは、ときおり映画やドラマで見ることがある。 朝ドラの「あんぱん」でも主人公が理不尽な理由で古参兵になぐられるシーン があった。 当たり前だけど、ぼくは戦争がこわい。軍隊がこわい。ぼくが戦争に恐怖を 覚えるのは実際の戦闘はもちろんだが、軍隊という組織に組み入れられて、 自由を失うことだ。 子どものころは戦争を扱ったアメリカのドラマや日本のアニメがあって、 主人公はヒーローだった。『0戦はやと』なんて、ぼくだって憧れていた けれど、そんなアニメにはもちろん「いじめ」のシーンなどひとつもなかった。 子どものころから、学校では先生に扱いにくいと思われたり、上級生に嫌わ れることが多かったぼくは、軍隊に入ったらまっさきにいじめの生贄にされる だろうなあ。さまざまないじめの事例を読みながら、軍隊には行きたくない、 と心底思った。 戦時中、じっさいのいじめ、暴力はテレビドラマで見る何倍もの凄まじさ だった。 『大日本いじめ帝国』の5章では「軍隊生活」の凄惨ないじめ、暴力がまとめ られている。両足を半歩開かせ、歯を食いしばらせてからコブシで顎をなぐる 「アゴ」、軍人精神注入棒という棒で気絶するまで尻をなぐる「バット」を はじめ、上官、古参兵による新兵への暴力はときに死に至ることもあった。 その新兵が死んだとしても「戦死」として扱われたそうだ。日本軍の自殺率は 世界一位だったそうだ。 そういえば小学生だったころ、戦争について親に聞いて作文を書くという 宿題が出たことがある。ぼくの父は昭和3(1927年)生まれで終戦時は16歳、 戦地には行かなかった。 戦闘機に乗りたくて陸軍士官学校に入った父だったが、練習機など一機もなく 飛行機には一度も乗ることはなかった。ひたすら地上訓練の日々だったという。 父は兵学校の苦しさは語らず、馬の世話がいちばん好きだったと、馬の可愛さ をうれしそうに話したのをよく覚えている。暴力について多くは語らなかった。 ゲートルの巻き方が悪いと怒られて何度もやり直しをさせられた。怒られたと いっているが、殴られていたのかもしれない。戦時中の知識がまったく なかった小学生のぼくはくわしく聞こうともしなかった。 だれかの不手際の連帯責任で父も含めて全員が真冬の川に入れられたという 話もしてくれた。寒かったといっただけで、どれだけの時間、川の中にいたか、 どれだけ辛かったかは話そうとしなかった。いまから考えると父は話したく なかったのかもしれない。まだ戦争の記憶が生々しく残っていたのだろう。 いまさらながら、もっとたくさん戦争の話を聞いておけばよかったと思う。 『大日本いじめ帝国』に書かれているいじめは、いじめなんてものではなく、 集団リンチといえるものだった。新兵は徹底的にいじめられるが、その翌年 には新しい兵士が入ってくる。2年目以降の兵士は、自分が受けたいじめを 新兵たちに行う。こうやって暴力は再生産を繰り返していく。 どこかで聞いた話だ。これって現在のアマチュアスポーツ界のいじめの構造 に似ていないか? 上級生にいじめを受けた部員が、新入生に対して同じ いじめを繰り返す。 高校野球の暴力について、落合博満が自身のYouTubeチャンネルで 言っていた。 「いじめはなくなったほうがいいに決まっている。だが、それにはあと50年、 100年はかかるだろう。いじめを受けたことがある指導者がいる限り、 暴力はなくならない」 戦争で生まれたいじめの構造は、戦後、そして現在もずっと続いている みたいだ。 いじめは、軍隊の中だけではない。 まずいじめの犠牲になったのは、子どもたちだった。戦時下、学校では 体罰が当たり前のように行われていた。子どもたちのいじめも「殴る、蹴る」 だけではなく、石を投げる、棒で殴るなどと暴力はエスカレートしていった。 教師がバットや竹刀で体罰を行うことが横行していた時代なのだから、子ども たちも暴力に抵抗感がなくなり、いじめも激しくなるからだ。 もちろん暴力だけではなく、言葉によるいじめ、仲間はずれにすることも 多かった。いじめの理由は、転校してき生徒が地元の子よりもいい成績をとる、 髪が赤っぽい…ほんの些細なことだった。いじめをしていたのは、札付きの 不良少年だったわけではなく、ちょっとした憂さ晴らしのために石を投げた、 というようにふつうの子どもたちも行っていた。当時、もし自分がいじめの シーンに遭遇したとき、止めることができるだろうか? 級友がいじめを 受けているのを遠巻きに見るか、もしくは自分もいじめに参加していたのでは ないか? そんなことを考えると息がつまりそうになる。 いじめが行われていたのは、一部の場所、学校ではなく、日本中の学校で 行われていただなんて、子どもたちにとって学校という場所は地獄だったろう。 どこにも逃げ場はない。 集団疎開先でも子どもたちは、余所者の扱いを受けて差別、いじめを受ける。 教師から「大阪弁が出ていますね。この辺りの言葉に1日で切り替えるよう お宅で教育してください」と理不尽なことをいわれることもあった。方言を 1日で習得するなど無理な話じゃないか。出来なければ公然といじめを受ける ことになる。 「先生の命令は天皇の命令。逆らうやつは非国民・売国奴だ」という理屈だ。 その子は、級友や町の人から袋だたきにされる生活が、戦争が終わる日まで 続いたという。 「私の戦争は、米英との戦いではなくて、疎開者を『場所(都会の意味)から 来た者』と呼び、差別した人々との戦いだったのです」と書いている。 いじめの蔓延は軍隊や子どもたちの間だけではなく、一般のおとな同士でも 行われた。若い兵士の出征を見送る人たちの中で、勇ましく日の丸の旗を振り、 「ばんざい!」をしているかっぽう着にたすきをしている女性たち。あの 女性たちは国防婦人会という女性に特化した「銃後」の戦争支援団体だ。 調べてみると国防婦人会は、軍部の指導のもと、出征兵士の見送りや慰問袋 の作成、国債購入、国民の精神強化などを行っていた。国のお墨付きがあるの だから、ドラマでも描かれているが、「国防は台所から」というスローガンを かかげて、かなり理不尽な戦争協力を求めていた ようだ。たとえば臨月の女性にバケツリレーに参加させたり、高齢の人、体の 不調を抱えている人たちにも無理な要求をして、断ると「非国民」と呼んで 強制的に活動に駆り出していたという。 「とんとんとんからりと 隣組」という楽しげな歌をぼくも覚えている。 「ド、ド、ドリフの大爆笑」というテレビ番組「ドリフ大爆笑」のオープニング ソングは、この歌を元にしている。1977年の番組なのにどうして? それほどこの歌は浸透していたのかな。 明るい歌なのだが、隣組の実態はそんなもんじゃない。町内会の下部組織で ある隣組は、思想統制、行動管理のために機能していて、町内の人々が 「非国民」であるかどうか監視していた。少しでも「愛国的でない」とされる と「非国民」と糾弾された。隣組に所属するおたがい同士で非難し合うことも あったらしい。 戦時中の「いじめ」「暴力」は映画、ドラマ、文章で見たり読んだりして 「あったことは知っていた」が、「いじめ」という視点でまとめた、数多くの 証言を読んでいくと、これまで以上に戦時中の行き詰まった空気が伝わって くる。おかしい、と思っても、ひとりでは抗えない大きな波に飲み込まれた ようだ。 戦争が終わって80年経つが、いまだに戦時中のいじめ、暴力は残っている みたいだ。SNSでの中傷発言、外国人に対するヘイトを見ていておそろしく なってくる。 教育勅語を復活しよう、という政治家がいるが、教育勅語というのは、 忠君愛国を謳ったもので、天皇への忠誠と愛国心を促すことを唱えたものだ。 天皇陛下のために命を捧げろという言葉のもと、「天皇陛下のためという大義 名分のもと、学校でどんなにたくさんのいじめ、 暴力が行われてきたか」がこの本に記されている。 あとがきで戦争について多くの取材をしてきた栗原さんが、「いじめ」を 意識して個々の事象を見つめ直すことで、戦争はいじめの孵卵器であることが わかった、と書いている。戦争という極限状態におかれるといじめの卵の 孵化率が格段にあがるのではないか、と。戦争というストレスがたまごを温め、 いじめという暗い命の誕生につながっていく。戦争、もしくはそれに準じる 状況になったら、同じようなタマゴが孵化していくだろう、と栗原さんは 書いている。 いまある「いじめ、暴力」は、再びタマゴが孵化していく前兆なんだろうか。
#
by kyotakyotak
| 2025-09-24 16:37
| 本
2025年 08月 24日
楽しみにしていた甲子園の高校野球が始まった。ぼくも半世紀近く前だけど、野球週刊誌の編集者として高校野球特集を作ったり、甲子園のアルプススタンドに取材に行ったこともある。 あのときも暑かったなあ、なんてのんびりしていたら、広島の広陵高校が暴力事件が発覚して2回戦を出場辞退するという大会始まって以来の事態となった。 お気楽にテレビにかじりつく気分じゃなくなった。いつまでたってもなくならない、暴力やパワハラ。今回は広陵高校で問題が起きたけれど、主催している高野連、夏の朝日新聞社、春の毎日新聞社がいままで根本的なことから目を背けて、その場しのぎに選手たちに責任をなすりつけてきたからだろう。若いころとはいえ、高校野球の闇の部分など知ろうともしなかった自分にも嫌気が差す。選手のファインプレーに声援を送りながらも、この裏では陰惨ないじめがあるのかもしれない、なんて思ってしまう。 週刊新潮7月31日号の高山正之のコラムを読んだ。読まなきゃ良かったと後悔するほどひどいヘイトスピーチだった。隣国、外国にルーツのある人への差別意識に満ちた文章が続き、そして唐突に女優や作家の名前をあげて「日本を嫌い、日本人を嫌いは勝手だが、ならばせめて日本名を使うな」と書いていた。 新潮社は謝罪文をホームページに掲載したが、案の定、なんの誠意もない文だった。「力量不足と責任痛感」ってなんなんだ。編集者も校閲も目を通していたはずなのに、問題を感じなかったなんてあり得ない。スルーしなければならない事情があったんだろう。ちゃんと答えてほしい。新潮社の本をたくさん読んでいるファンをこれ以上悲しませないでほしい。 参議院選挙の演説では公然とヘイトスピーチが行われ、核武装まで唱える候補者も現れた。あり得ないことが起こっていて、世の中も流されてしまいそうで恐ろしい。ちいさな流れがやがて洪水となってぼくたちは飲み込まれてしまうんじゃないか。 こんなこと考えていたら熱も出るよなあ。 息が詰まりそうな気持ちでいるときに救ってくれたのが『いわずにおれない』(まど・みちお 著 集英社文庫)だった。 まど・みちおといえば「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」などお馴染みの童謡の歌詞をたくさん作った詩人。「やぎさんゆうびん」の詩はシュールで子どものときから好きだった。大好きな加藤和彦、北山おさむ、はしだのりひこがメンバーだったザ・フォーク・クルセダーズもレパートリーにしていたな。古い話だけど。 この本は、2014年2月に104歳で亡くなったまどさんの96歳のときのインタビューと詩、そしてまどさん自身が描いた絵、取材のときに撮影された写真で構成されている。この絵が美しくてびっくり! まどさんのひとつひとつの言葉に思わず落涙しそうになるのは、熱で弱っているせいだけじゃない。インタビューをしている細貝さやかのまどさんの表情や佇まいを伝える文が素晴らしい。喫茶店のテーブルにいっしょに座って話を聞いているようだ。こっそり隣のテーブルにいて耳をすましていたかった。真剣なのだけどユーモアたっぷりのまどさんの言葉にコーヒーを吹き出していたかもしれないな。 普段は意識していないが、ときどき自分の年齢にギクリとする。つい先日も休日診療に対応してくれた診療所に電話をしたときに「おいくつですか」と聞かれ、「68歳です」と答えながら、「あなたはもう老人なのですよ」と自覚を促されているようで、ちょっとしょんぼりした。 この頃思うのは、なにを始めるにも10年先、20年先の未来を考えることが出来ない年齢なんだと思っていたけれど、そうじゃなかった。いや、本当はそうなのかもしれないけれど、当時96歳のまどさんの語る詩への向き合い方、人生の哲学を聞いていると、ぼくもまだまだ生きなくては、生きてやりたいことをやらなくちゃ、と考えるようになった。もちろん、この本は老人向けのものではないので念の為。未来のある、若い人に読んでほしい。中学生のときにこの本を読んで、こんな素敵なおじいさんがいることを知ったら、どんなにうれしいだろう! 詩は「つくる」っちゅうより「生まれる」という感じ、というまどさん。テーブルの上に置かれていたリンゴを見て、美しさにハッとした。なぜ、美しいと思ったんだろうと追求していたら、「リンゴが占めている空間は、ほかの何ものも占めることができない」ことに気がつく。「ものの存在のしかた」が美しく荘厳に思えて、「その素晴らしさを言わずにおれなくなったんです」と1972年に「リンゴ」という詩を書いている。「いわずにおれない」は、まどさんの創作の原動力だったんだ。 やさしいまどさんだけれど、自分にはきびしい人でもあった。じぶんにきびしいからこそ、やさしいのかもしれない。「いのちの尊さをずっと詩にしていながら、第2次大戦中に2編も戦争協力詩を書いとる…そのことを戦後すっかり忘れておった。今となっては、当時の子どもたちにお詫びも何もできないから、とにかく世の中の人に知らせて罵倒していただこう、糾弾していただこうと、全詩集に戦争詩を載せたんです」「いつまたどんなことをするかもわからん。ですから、自分がぐうたらなインチキで時流に流されやすい弱い人間だということを、自戒し続けなくちゃならんのです」と語っているのも印象的だった。 リンゴでもゾウでもノミでもマメひとつぶでも、自分のようなインチキのぐうたら人間であっても、そこにそれがここにおればほかのものは重なっていられない。だからこの地球の上ではどんなものも何ものに代えられない、かけがえのない存在である、とまどさんはいう。 童謡「ぞうさん」は鼻が長いと指摘された子ゾウは、それを悪口ではなくて大好きな母親ゾウと同じなんだと誇らしく思っている。「ゾウに生まれてうれしいゾウ」の歌なんだと語っている。生きている自分を肯定する、存在することを美しいと思うことをまどさんはずっと歌い続けた。 一匹のアリ、ノミ、タンポポから宇宙まで、まどさんの「まど」からは広大な世界が広がっているようで、思い切り深呼吸した気持ちになった。 #
by kyotakyotak
| 2025-08-24 20:02
| 本
2025年 07月 24日
ときおりアイリッシュパブの二階で歌っている。シンガー&ソング
つまり自分で歌を作っている歌い手が7、8人ほど集まって自作 夕べだ。プロのシンガーもいれば、まったくの素人もいる。自分 歌う。条件はそれだけだ。パブを貸し切っているわけではないの 楽しみに来たお客さんもたくさん来ている。酔いがまわってくる 賑やかになってくる。特にサッカーの試合があって、地元のチー 祝杯をあげるファンのパーティが始まる。 先日も、ぼくが歌っていると、曲の途中で一階からけたたましい声 渡った。いちおうマイクを使って、自分の声とギターを聞くため があるのだが、まったく用をなさない。思わず歌をやめてしまう だった。トレメローズのヒット曲に「Silence Is Golden」なんていうのが あったな。いつもだったらそれほど気にならないのに、あのとき 欲しかった。 店の厚意で演奏させてもらっているのだから、もちろんお客さんが ではないのは重々承知しているけれど。 それにしても、ぼくたちの生活はたくさんの騒音に囲まれているこ 改めて気づいた。テレビをつければコマーシャルの映像と音響、 スピーカーから音楽が流れているし、音だけじゃなく、道を行く しているように見える。 ぼくたちは沈黙することを忘れてしまった。 『サイレントシンガー』 (小川洋子 著 文藝春秋)を読んでから、ずっと沈黙と音楽、歌のことを 考えている。 著者6年ぶりの長編小説は、読みすすめるうちに静かな空気に包ま 遠くはるか彼方から、美しいメロディが流れてくる。耳をすます 耳に届く静かな音楽のようだ。でも、けっしてBGM( エレベーター・ミュージックという)のように聞き流す音楽じゃ この小説のことを知ったのは、今年の初めのことだった。ある人の 雑誌、文学界2月号に掲載された小川洋子の新作が素晴らしい、 あった。すぐに雑誌を買ったのだが、いつものように積ん読にな いた。もっと早く読めばよかった! 幼かったリリカは母が自殺したため、祖母に連れられて「内気な人 集まって暮らす集落」にやってきた。そこは、「 られていた。ここが物語の舞台だ。 アカシアの野辺に住む内気な人たちは、声に出して話さず、独自の 駆使した指言葉で会話をする。幼いリリカは言葉を話す前に指言 やがてリリカは歌うことを覚える。アカシアの野辺の人たちが子守 歌ってくれたのだ。普段喉を使っていない彼らの歌声は、ささや ないくらいに弱々しかった。 リリカの歌声は、「リリカの胸を満たす沈黙 の中に染み込み、その沈黙に両手を浸し、 差し出している」ようで、「沈黙と歌声」がお互いを抱きとめあ だった。素直で、なぜか、鼓膜に深く染み込んでいく。 リリカは歌とともに人生を歩んでいく。亡くなった老いた介護人の 歌ったドボルザークの「家路」を偶然耳にした役場の職員は、夕 告げる曲に使いたいと録音を依頼した。19歳になったリリカは の仕事を引き継いで「アカシアの野辺」で暮らしていたが、歌の なかった。目立たないが依頼人の希望に沿うリリカの歌は重宝が 人形ポピーちゃんの“声”になって歌う仕事、アシカショーでア 歌う仕事、コマーシャルソング、有名歌手たちの仮歌、少年のお モーツァルト……どの仕事もリリカの歌が特別な色がついていな そのものだから選ばれた。 いつもと変わらない日常を静かに過ごしているリリカだが、歌が少 アカシアの野辺の外に連れ出していく。そして恋に出会う……。 物語は、毎日夕方の5時になると町役場から流れる「家路」から始 ドボルザーク作曲の交響曲「新世界より」第2楽章の旋律に歌詞 聞き覚えのある歌詞は堀内敬三のもので「遠き山に日は落ちて」 タイトルがつけられている。調べてみると野上彰は、この曲に「 タイトルをつけて歌詞を書いている。だが、この小説に登場する 小川洋子によるもののようだ。ドボルザーク「新世界」のメロデ た途端に胸がキュンとする懐かしい気持ちになる。この導入部で は小説の世界に入っていくだろう。毎日、当たり前のように聞い だけど誰が歌っているのか知る人はいない。ミステリアスな展開 ようだ。 アカシアの野辺に住む内気な人たちがつけているガラスのペンダン 結晶の形や透明度が変化する。ああ、これ盛岡の友人に頂いたも 部屋のアクセサリーと思っていたのだが、アカシアの野辺に住む人 野辺で作られるお菓子や料理も美味しそうだし、しばらく暮らし なる。昔、ピーター・ウィアー監督、ハリソン・フォード主演の『 ブック 目撃者』という映画があったけれど、その舞台だったアメリカの いるアーミッシュの人々の暮らしを思い出した。アカシアの野辺 宗教ではなく、ただ内気な人々の集まりであるけれど。 とても静かな物語なのだが、いくつものエピソードが折り重なって ところに落ちていくようだった。登場する人物ひとりひとりにそ 物語が広がっている。 透明感のある澄んだ世界なのだが、とてもグロテスクな、残酷なも でいる。リリカはいつも髪を短くしているのだが、それは母親が で首を絞めて自殺したからだった。祖母はリリカに髪を伸ばすこ 許さなかった。それにしても自分の髪の毛で首を絞めるなんて想 恐ろしい。 ある男の子が森で行方不明となった。行方不明の男の子のために、 祖母は木切れで女の子のいびつな人形を作った。男の子が寂しく よう遊び相手を作ったのだった。祖母はそれから人形をいくつも 湧き水の沼の周りに人形の公園ができる。そこはリリカの密かな になる。手作りの人形たちの輪の中に入っているリリカの姿はどん 見えるだろう? 二匹の羊の角が絡み合い、はずれなくなってしまう。二匹の羊はそ 逃走して森をさまよう。やがて一匹の羊は死んでしまい、朽ち果 残った羊も絡まった角をつけたままやがて沼に沈んでしまう。 美しい文章で描かれていてうっとりとしながら読んでいるが、もし てしまった。 読んでいるといろいろな言葉にハッとさせらる。リリカの祖母の言 印象的だ。 「人間は、完全を求めちゃいけない生き物なのさ」「余分、 反故、不細工……。そういう、不完全なものと親しくしておかな 言葉を発しない人たち、世の中の片隅でひっそりと生きる人たちに 馳せて、別れた人々、朽ちていったもの、失くしたものを静かに 小説だった。 ![]() #
by kyotakyotak
| 2025-07-24 22:58
| 本
|
ファン申請 |
||