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2006年 07月 05日
末森英機さんと出会ったのは、今から30数年前のこと。ぼくはまだ高校生だった。学校がきらいだったが、ドロップアウトしたくても、そんな覚悟が出来ずにうじうじしていたころだ。成績や出席日数は十分にドロップアウトしていたけれど……。不良少年にもなれず、鬱屈した生活を送っていた。あー、情けない……。
そんなころ、友人に連れられて行ったのが、渋谷の百軒店にあった「ギャルソン」という飲み屋だった。そのころ百軒店には、音楽が聴ける店がいくつかあった。いまでもある「BYG」、シンガー・ソングライターや英国トラッド音楽が聴けた「ブラックホーク」なんかに通っては、アメリカやイギリスのロックやフォークなど、知らない音楽を漁っていた。「ギャルソン」は、はちみつぱいのメンバーや、あがた森魚や、その周辺のミュージシャンが出入りしていた店だった。高校生のぼくらは、ギャルソンに行って、ミュージシャンたちと同じレコードを聴いたり、ときには音楽の話に入れてもらって、いっぱしの音楽仲間気取っていたわけだ。ギャルソンには、そういうわけでプロ、アマ問わず音楽好きが集まっていた。そこで知り合った人たちといっしょにコンサートをしたこともあったっけ。 末森英機さん(当時はヒデキと呼んでいた)と出会ったのもギャルソンだった。2歳ほど年上のヒデキさんは、ギャルソンでウェイターとして働いていたそうだ。ぼくの記憶では、ヒデキさんが働いていた印象はなくて、いつもいっしょのテーブルにいて、酒を飲んでいたような気がする。小柄で細身のジーンズに白いシャツ、下駄を履いていた。あとできいたところによると、このころのヒデキさんは、そうとうやんちゃで、けんかばかりしていたそうだ。でも、目がいつもきらきらしていて、自分で作った歌を聴かせてくれた。もうメロディーも歌詞もよく思い出せないが「つばめ」という曲が美しかった。この曲は、ヒデキさんが野外音楽堂のコンサートに出るときに伴奏したのを覚えている。ふたりで百軒店の道ばたに座って練習した。 そのヒデキさんと30数年ぶりに再会した。きっかけは中川五郎さんのブログだった。中川さんの日記にヒデキさんの名前を見つけたのだ。驚いた。画家の南椌椌さんの名前も書いてあった。そして偶然は続いた。吉祥寺の豆蔵(カレーがおいしい南椌椌さんのお店)に行くと、たまたま南椌椌さんがいらしたので、ヒデキさんのことを聞いてみた。椌椌さんは、まるで弟のことを話すようにヒデキさんのことを教えてくれた。なんだか、いっぺんにギャルソンの時代が帰ってきたような気がした。 ひさしぶりに会ったヒデキさんは、当たり前だけど年をとっていて、あのころの姿はしていなかった。でも、きらきらしている目は、あのころのままだった。ヒデキさんは、ぼくのことをまったく覚えていなかった。いっしょにコンサートをしたことも、ぼくが伴奏したことも、道ばたで練習したことも覚えていなかった。じつはアルコールが原因で、死線をさまよい、戻ってきたときにはある部分の記憶をなくしていたそうだ。でも話していくと、共通の風景を見て、音楽を聴いて、友人がいて、だんだんと失った記憶を埋められたような気がする。 ヒデキさんは、詩人だった。「東京新事情」「鬼が花を嗅いでいる」という2冊の詩集をいただいた。ヒデキさんの詩を読んでいると、あのころ、歌っているヒデキさんの姿が浮かんでくる。だから詩人になったことは、驚きではなかった。 神楽町の喫茶店で、高田渡、中川五郎の歌の話、吉増剛造、高橋睦郎の話を聞いているうちにまたたくまに時間が過ぎていった。 喫茶店を出て、ふと見上げると、そこには30年前と同じ青い空があった。
by kyotakyotak
| 2006-07-05 16:53
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