勝手に自分の「聴覚」に多大に影響を与えたレコードのアルバムカバーを投稿。 30枚目はライ・クーダーの『紫の峡谷』1972年リリース。原題『Into the Purple Valley』。このジャケット、かっこいいよね。古いハリウッド映画のポスターのようで。
ライ・クーダーを初めて聴いたのは、いつだったのか? 渋谷の百軒店にあった「ギャルソン」だったかもしれない。高校生のころ、友人に教えてもらった飲み屋で、はちみつぱいのメンバーや南佳孝、あがた森魚が常連客だった。ここに行って新しい音楽、珍しいレコードを聴かせてもらっていた。というか、店の隅っこに座って、どんなレコードがかかるか耳をすましていた。常連のミュージシャンには、声をかける勇気はなかったけれど、少し年上のチャーリーという太った青年とは話をするようになっていた。チャーリーと呼ばれていたが、それはクリスチャンネームらしく、れっきとした日本人だ。青学の生徒で、いかにもお金持ちのボンボンという感じ。チャーリーからも新しい音楽を教えてもらっていた。
ライ・クーダーのセカンドアルバム『紫の峡谷』は、チャーリーに聴かせてもらったのかもしれない。ライ・クーダーといえばスライドギターの名手で、ガラス瓶を切断して作ったスライドバーを使っている、なんていうこともチャーリーから聞いたのかな。
いまではライ・クーダーといえば、ギターファンならだれでも知っているだろうけれど、当時の高校生の間ではまったく無名だったと思う。教室ではギターといえば、ジミー・ペイジやエリック・クラプトン、リッチー・ブラックモアぐらいしか話題にならなかったから。
そういうぼくも背伸びしてアルバムを買ったけれど、ライ・クーダーの良さなんて、よくわからなかったんだと思う。ツェッペリン、ディープパープルばかり聴いている連中に、「俺は、ちょっとちがうの聴いてんだよ」と言いたかっただけかも。だってライ・クーダーがこのアルバムでウディ・ガスリー、ジョセフ・スペンス、レッドベリーの曲をカバーしているなんてことも、ずっとあとになって知ったことだった。この人たちがどれほど重要なのかも知らなかった。スライドギターのザラザラした感じも苦手だったかもしれない。ボーカルだって、うまいとは思わなかった。
いま、高校生のぼくに言ってやりたい。「おい、おまえ、このレコードを買って正解だぞ。その年でこの音楽を聴いたのは貴重な経験だ」と。