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2025年 02月 24日
![]() さっそく開けると『わだかまってばかり日記 本と共に』(岩瀬成子 著 理論社)だった。編集者の方が送ってくださった。年末に岩瀬さんの『まだら模様の日々』(かもがわ出版)をとりあげていたので、それを読んでくれたのかもしれない。 積ん読本にしたくなくて、すぐに読み始めた。子どものころを描いたエッセイは、『まだら模様の日々』でも書いているけれど、『わだかまってばかり日記 本と共に』は、タイトルにあるとおり、思い出を30冊の本と結びつけている。 以前にも書いたけれど、岩瀬さんは、どうして子供のころの記憶をこのようにみずみずしく蘇らせられるのだろう。5、6歳のころに住んでいた家のくわしい描写。まるで目の前に光景がひろがるようだ。 岩瀬さんに倣ってぼくも生まれた家を思い出してみた。暗い廊下、掘り炬燵のある茶の間、食器棚があってせまい台所、風呂場、急な階段…個々には思い出せるのだけどどんな家だったか全体像が浮かんでこない。空間を把握する能力がないのか、家の見取り図を書けない。当時、いっしょに暮らしていた叔母に聞いてこようと思う。 岩瀬さんは幼なかった自分の心の動きも記憶も鮮明に覚えている。6歳のときに引っ越しを機に「それまでの自分とはちがう、正しい子どもになれそうな気がした」なんていう。そんな強い意志がきちんとあったのかあ。自分の6歳のころを思い返してみても、ぼくはもっと幼かったような気がする。 読みながら、岩瀬さんの思い出とともに戦後の日本の風景をたどっているような気持ちになった。 それは歴史の教科書ではなく、ごくごく普通の暮らしが書かれているからだと思う。そして僕自身の子ども時代の感情を呼び起こしていく。 ぼくは岩瀬さんほど記憶力はないし、きめ細かい感受性があったとは思えない。それでも、親や周囲の人たちに理解されない気持ちが蘇る。「どうしたら、この気持ちをわかってもらえるんだろう」と考えても、結局は泣くことでしか表現できなかったことを思い出し、読みながら胸が痛くなった。 「小さかったときに思ったり、感じたりしたことは、いつもどんなふうにも、大人には(もちろん子どもにも)うまく伝えられない気がしていた」と書いている岩瀬さんは、ずっとこの気持ちを持ち続けているんじゃないだろうか? いつまでも「わだかまってばかり」なのかもしれない。それが創作の原動力なんだろう。 その伝わらないもどかしさを描いている作品として、フィリパ・ピアスの『まぼろしの小さい犬』をあげている。決して解決の方法が書かれているわけではないけれど、わだかまる気持ちに寄り添う作品を読むことで「自分だけでない」と思えるかもしれない。 そんなふうに自身の子どものときに感じた心の動きをとらえて、それにつながる本を選んでいることが普通の読書案内とちがうところだと思う。 「そばの戦争」という章では、岩瀬さんの戦争体験を書いている。 戦争が終わって5年後に生まれた岩瀬さんは、「わたしのまわりには戦争の跡どころか、どんな匂いも残っていなかった」と書いている。 ぼくは岩瀬さんより7つ年下だから、幼いころ、戦争はすでにテレビアニメかアメリカの戦争ドラマの中のものだった。零戦とか隼といった戦闘機のプラモデルを作り、戦争は「かっこいい」ものだった。岩瀬さんが書いたとおり、大きな駅周辺には傷痍軍人が立っていた。松葉杖をついた人、片手を包帯でつっている人、座り込んで頭を下げている人、アコーディオンやハーモニカで悲しげなメロディを吹いている人。みんな白い服を着ていた。親にそう言われたわけではなかったが、幼心に見てはいけないと思っていたし、ただただこわかったという印象だった。 親戚に戦争に行った人もいたが、それを知ったのはずいぶんあとのことだった。 岩瀬さんも戦争について家族のやりとりを書いている。 「そばに戦争が残っていることにも気がついていなかった」 在日朝鮮人の友人が朝鮮に帰ることになって、二階の教室の窓から見送ったときも、 「民子ちゃんの家族がいつ朝鮮から山口県に来たのか知らない。そして、それは戦争のせいで、ということも知らなかった」 「わたしの生まれるちょっと前にあった大戦争のことなどろくに考えもせず、わたしは大きくなった」 岩瀬さんは『夕焼けの国』(今江祥智 著)、『若き日の哀しみ』(ダニロ・キシュ 著)などの戦争文学を選んでいる。 いまの子どもたちにとって「戦争」ってなんだろう? ニュースでは毎日のようにウクライナやガザでの殺戮が伝えられている。もちろん、戦争を肯定する報道などないだろうが、このさき、世界がどのようになるのか、子どもたちが平和に暮らしていけるのか、だれにもわからない。 同じ章にある、高校生のときのエピソードが興味深かった。本が好きだった岩瀬さんはなんとなく文芸部に入った。 「わたしは文芸部に入っていたのに、というか、入ったからか、言葉をうまく遣えなくなっていた」 文芸部での文芸誌を作ることになり、テーマを「公民権運動」と提案した岩瀬さんだったが、原稿が集まらず自分で書くことになる。しかし、苦労した原稿は「まるで意味が伝わらない」ものになっていた。 書くことが苦痛になっていて「ちがうようなあ、と思いながら書いて、その文章をあちこち消して何度も書き直す。意味はどんどん曖昧になって、最後、意味不明となる」 「言葉はどこか遠くにあって、自分のなかにはない」と思っていた。 この言葉をさがすことが、文学につながっているんだろうなあ、とぼくは勝手に思っていた。言葉と格闘することが「書く」ということなのだろう。 岩瀬さんの子ども時代からの成長を追いながら選ばれた本はフィリパ・ピアス、ヴァニジア・ハミルトン、石井桃子、津村記久子……児童文学はもちろん小説、マンガまでバラエティに富んでいる。岩瀬さんの子ども時代の心の動きに沿っているから、「ああ、この本はそんな気持ちに寄り添う内容なんだな」と読みたくなってくる。読んだことのある本もまったく知らない本もある。 『道の果て』という章では、大好きなスチュアート・ダイベックの『シカゴ育ち』も紹介されていてうれしい。この小説に登場する少年たちは「とにかく町を歩きまわる。消火栓から水があふれて水浸しになった通りや、廃墟となったビルの中も。高架下をくぐり、刑務所の高い壁の下を歩き、消防自動車の廃棄場をめぐり、駅や公園や工場を通り過ぎる」なんていう紹介文を読んだだけでグッとくるでしょう? この章の最後の文章も好きだった。 「だけども道はある。家のドアをあけて一歩出ればすぐ目の前にある。その道は、たどろうとすればどこまでもつづいているのだ。」
by kyotakyotak
| 2025-02-24 00:44
| 本
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