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2025年 09月 24日
8月ジャーナリズムという言葉があるそうだ。毎年8月になると新聞、 テレビ、ラジオなどのメディアが戦争や平和に関する報道を集中して行うが、 いわゆる季節ネタで終わってしまうことをいう。 今年は戦後80年ということもあって見応えのある特集番組が放送されたと思う。 右翼政党の台頭やガザ、ウクライナの悲惨ニュースが流れる中、戦争についての 報道はこのまま「8月ジャーナリズム」として終わらせてはいけない、と身に しみて感じるようになった。 『大日本いじめ帝国』(荻上チキ 栗原俊雄 著 中央公論新社)を読んだ。 サブタイトルに「戦場・学校・銃後にはびこる暴力」とあるとおり、戦時下の 暴力を数多くの証言と時代背景を整理して、戦争を「いじめ」をテーマとして とらえた本だった。 証言はたくさんの文献から取り上げられていて、その出典もきちんと示され ている。著者の荻上チキは、社会の問題を深く捉える番組のラジオ パーソナリティとしてお馴染みで、「いじめ」についての著書も多い。その 荻上チキさんがもうひとりの書き手として選んだのが、栗原俊雄だった。 20年以上、戦争にまつわる取材と報道を8ジャーナリズムを一年中続けている 「常夏記者」という異名を持つ毎日新聞の記だった。 戦時中のいじめをテーマにしているのだから、楽しい内容のわけはない、 と覚悟をしていたけれど、想像以上の悲惨な話に鬱々とした気分になったし、 それ以上に、もし、また戦争という状況になったら、と恐怖感を覚えたし、 世の中が「戦前」に近づいているのでは、という気がしてこわくなってきた。 戦時中のいじめのことは、ときおり映画やドラマで見ることがある。 朝ドラの「あんぱん」でも主人公が理不尽な理由で古参兵になぐられるシーン があった。 当たり前だけど、ぼくは戦争がこわい。軍隊がこわい。ぼくが戦争に恐怖を 覚えるのは実際の戦闘はもちろんだが、軍隊という組織に組み入れられて、 自由を失うことだ。 子どものころは戦争を扱ったアメリカのドラマや日本のアニメがあって、 主人公はヒーローだった。『0戦はやと』なんて、ぼくだって憧れていた けれど、そんなアニメにはもちろん「いじめ」のシーンなどひとつもなかった。 子どものころから、学校では先生に扱いにくいと思われたり、上級生に嫌わ れることが多かったぼくは、軍隊に入ったらまっさきにいじめの生贄にされる だろうなあ。さまざまないじめの事例を読みながら、軍隊には行きたくない、 と心底思った。 戦時中、じっさいのいじめ、暴力はテレビドラマで見る何倍もの凄まじさ だった。 『大日本いじめ帝国』の5章では「軍隊生活」の凄惨ないじめ、暴力がまとめ られている。両足を半歩開かせ、歯を食いしばらせてからコブシで顎をなぐる 「アゴ」、軍人精神注入棒という棒で気絶するまで尻をなぐる「バット」を はじめ、上官、古参兵による新兵への暴力はときに死に至ることもあった。 その新兵が死んだとしても「戦死」として扱われたそうだ。日本軍の自殺率は 世界一位だったそうだ。 そういえば小学生だったころ、戦争について親に聞いて作文を書くという 宿題が出たことがある。ぼくの父は昭和3(1927年)生まれで終戦時は16歳、 戦地には行かなかった。 戦闘機に乗りたくて陸軍士官学校に入った父だったが、練習機など一機もなく 飛行機には一度も乗ることはなかった。ひたすら地上訓練の日々だったという。 父は兵学校の苦しさは語らず、馬の世話がいちばん好きだったと、馬の可愛さ をうれしそうに話したのをよく覚えている。暴力について多くは語らなかった。 ゲートルの巻き方が悪いと怒られて何度もやり直しをさせられた。怒られたと いっているが、殴られていたのかもしれない。戦時中の知識がまったく なかった小学生のぼくはくわしく聞こうともしなかった。 だれかの不手際の連帯責任で父も含めて全員が真冬の川に入れられたという 話もしてくれた。寒かったといっただけで、どれだけの時間、川の中にいたか、 どれだけ辛かったかは話そうとしなかった。いまから考えると父は話したく なかったのかもしれない。まだ戦争の記憶が生々しく残っていたのだろう。 いまさらながら、もっとたくさん戦争の話を聞いておけばよかったと思う。 『大日本いじめ帝国』に書かれているいじめは、いじめなんてものではなく、 集団リンチといえるものだった。新兵は徹底的にいじめられるが、その翌年 には新しい兵士が入ってくる。2年目以降の兵士は、自分が受けたいじめを 新兵たちに行う。こうやって暴力は再生産を繰り返していく。 どこかで聞いた話だ。これって現在のアマチュアスポーツ界のいじめの構造 に似ていないか? 上級生にいじめを受けた部員が、新入生に対して同じ いじめを繰り返す。 高校野球の暴力について、落合博満が自身のYouTubeチャンネルで 言っていた。 「いじめはなくなったほうがいいに決まっている。だが、それにはあと50年、 100年はかかるだろう。いじめを受けたことがある指導者がいる限り、 暴力はなくならない」 戦争で生まれたいじめの構造は、戦後、そして現在もずっと続いている みたいだ。 いじめは、軍隊の中だけではない。 まずいじめの犠牲になったのは、子どもたちだった。戦時下、学校では 体罰が当たり前のように行われていた。子どもたちのいじめも「殴る、蹴る」 だけではなく、石を投げる、棒で殴るなどと暴力はエスカレートしていった。 教師がバットや竹刀で体罰を行うことが横行していた時代なのだから、子ども たちも暴力に抵抗感がなくなり、いじめも激しくなるからだ。 もちろん暴力だけではなく、言葉によるいじめ、仲間はずれにすることも 多かった。いじめの理由は、転校してき生徒が地元の子よりもいい成績をとる、 髪が赤っぽい…ほんの些細なことだった。いじめをしていたのは、札付きの 不良少年だったわけではなく、ちょっとした憂さ晴らしのために石を投げた、 というようにふつうの子どもたちも行っていた。当時、もし自分がいじめの シーンに遭遇したとき、止めることができるだろうか? 級友がいじめを 受けているのを遠巻きに見るか、もしくは自分もいじめに参加していたのでは ないか? そんなことを考えると息がつまりそうになる。 いじめが行われていたのは、一部の場所、学校ではなく、日本中の学校で 行われていただなんて、子どもたちにとって学校という場所は地獄だったろう。 どこにも逃げ場はない。 集団疎開先でも子どもたちは、余所者の扱いを受けて差別、いじめを受ける。 教師から「大阪弁が出ていますね。この辺りの言葉に1日で切り替えるよう お宅で教育してください」と理不尽なことをいわれることもあった。方言を 1日で習得するなど無理な話じゃないか。出来なければ公然といじめを受ける ことになる。 「先生の命令は天皇の命令。逆らうやつは非国民・売国奴だ」という理屈だ。 その子は、級友や町の人から袋だたきにされる生活が、戦争が終わる日まで 続いたという。 「私の戦争は、米英との戦いではなくて、疎開者を『場所(都会の意味)から 来た者』と呼び、差別した人々との戦いだったのです」と書いている。 いじめの蔓延は軍隊や子どもたちの間だけではなく、一般のおとな同士でも 行われた。若い兵士の出征を見送る人たちの中で、勇ましく日の丸の旗を振り、 「ばんざい!」をしているかっぽう着にたすきをしている女性たち。あの 女性たちは国防婦人会という女性に特化した「銃後」の戦争支援団体だ。 調べてみると国防婦人会は、軍部の指導のもと、出征兵士の見送りや慰問袋 の作成、国債購入、国民の精神強化などを行っていた。国のお墨付きがあるの だから、ドラマでも描かれているが、「国防は台所から」というスローガンを かかげて、かなり理不尽な戦争協力を求めていた ようだ。たとえば臨月の女性にバケツリレーに参加させたり、高齢の人、体の 不調を抱えている人たちにも無理な要求をして、断ると「非国民」と呼んで 強制的に活動に駆り出していたという。 「とんとんとんからりと 隣組」という楽しげな歌をぼくも覚えている。 「ド、ド、ドリフの大爆笑」というテレビ番組「ドリフ大爆笑」のオープニング ソングは、この歌を元にしている。1977年の番組なのにどうして? それほどこの歌は浸透していたのかな。 明るい歌なのだが、隣組の実態はそんなもんじゃない。町内会の下部組織で ある隣組は、思想統制、行動管理のために機能していて、町内の人々が 「非国民」であるかどうか監視していた。少しでも「愛国的でない」とされる と「非国民」と糾弾された。隣組に所属するおたがい同士で非難し合うことも あったらしい。 戦時中の「いじめ」「暴力」は映画、ドラマ、文章で見たり読んだりして 「あったことは知っていた」が、「いじめ」という視点でまとめた、数多くの 証言を読んでいくと、これまで以上に戦時中の行き詰まった空気が伝わって くる。おかしい、と思っても、ひとりでは抗えない大きな波に飲み込まれた ようだ。 戦争が終わって80年経つが、いまだに戦時中のいじめ、暴力は残っている みたいだ。SNSでの中傷発言、外国人に対するヘイトを見ていておそろしく なってくる。 教育勅語を復活しよう、という政治家がいるが、教育勅語というのは、 忠君愛国を謳ったもので、天皇への忠誠と愛国心を促すことを唱えたものだ。 天皇陛下のために命を捧げろという言葉のもと、「天皇陛下のためという大義 名分のもと、学校でどんなにたくさんのいじめ、 暴力が行われてきたか」がこの本に記されている。 あとがきで戦争について多くの取材をしてきた栗原さんが、「いじめ」を 意識して個々の事象を見つめ直すことで、戦争はいじめの孵卵器であることが わかった、と書いている。戦争という極限状態におかれるといじめの卵の 孵化率が格段にあがるのではないか、と。戦争というストレスがたまごを温め、 いじめという暗い命の誕生につながっていく。戦争、もしくはそれに準じる 状況になったら、同じようなタマゴが孵化していくだろう、と栗原さんは 書いている。 いまある「いじめ、暴力」は、再びタマゴが孵化していく前兆なんだろうか。
by kyotakyotak
| 2025-09-24 16:37
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